1.メガネの歴史 〜プロローグ〜
私たちが日頃何気なく掛けているメガネ。ですが、いつ、どこで、誰が発明したものかご存知でしょうか?
実は、いずれも確かなことはわかっていません。1289年にイタリアで出版された本に「メガネは最近になって発明された」と書かれていたことがわかっていますが、その情報も正しいかどうか……。
学者のなかでは、「発明したのは学者ではなく、老眼になったお年寄りが水晶やガラスなどを通してモノを見たときに偶然に発見したのだろう」という意見が現在は多数派のようです。
2.レンズの原点
昔の人たちは、水を入れたガラス球を拡大鏡として使っていました。このガラス球を通すことで、小さな文字もくっきり読みやすくなったのです。
古代ローマの商人たちはこの「モノが大きく見える現象」を利用し、水入りのガラス球のなかに商品をディスプレイしていたといいます。
何千年も昔から、レンズは人々の生活の中にとけ込んでいたのですね。現在はさまざまな大きさ(薄さ)や形状に加工できるようになったことで、レンズの果たす役割も多様化。私たちの生活のなかで、さらになくてはならない存在となっています。
3.フレームの登場と進化
はるか昔のメガネは虫メガネのような形でレンズがひとつしかなく、フレームには動物の骨や木などが使われていました。しかしこれだと使うときに片手がふさがってしまうし、両目で見ることもできない…。そこで人々は研究に研究を重ね、現在の“2つの虫メガネを柄にくっつけて鼻の頭に乗せる形”を見つけました。
4.メガネと日本の関係
日本にメガネを伝えたのは、キリスト教を伝えたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル。彼が周防国(現在の山口県東部)の大名・大内義隆にメガネを贈ったのが初めといわれています。続いて日本に来た他の宣教師たちも、ヨーロッパの珍しいお土産として、諸大名にこぞってメガネをプレゼントしました。当時の民衆は、「異国の人は四つの眼を持っていた」と驚いたそうです。
江戸時代(1600年代)になると、水晶玉の職人がメガネのレンズを作り始めました。しかしかなり値段は高く、普通の人が買えるものではなかったようです。日本でメガネが安く作れるようになったのは1800年代の後半。政府の命で渡欧し、メガネづくりを勉強した朝倉松五郎という人物が、明治6年に新しい機械を持ち帰ったのがきっかけでした。
5.メガネの流行の関係
18世紀末になると、ツルなしメガネ、片メガネ、長い柄付き鼻メガネ、小型柄付きメガネなど、いろいろなタイプのメガネがフランスで作られ、世界的に大流行しました。その火付け役となったのが当時の貴族たち。奇抜な服装を好んだ彼らは、新しいメガネを身に付けて街で披露したといいます。
これ以降、それまで機能性にしか目を向けられなかったメガネに「ファッション(流行)」という概念が加わりました。メガネを掛ける人々は、このときから「見られること」を意識し始めたのです。
6.コンタクトレンズの誕生
視力矯正器具としてのコンタクトレンズの原理を発明したのは、レオナルド・ダ・ヴィンチといわれています。その後研究が進められ、ヨーロッパの外科医が自分の患者に初めてコンタクトレンズを装着したのが19世紀末のことでした。このとき使われたのが、成形したガラス製のレンズ。しかし、当時のレンズには縞や厚さのムラがあり、5~6時間はめているのがやっとでした。価格もかなり高かったようです。
今ではプラスチック素材を応用することにより、お財布にも目にもやさしいコンタクトレンズが手に入るようになりました。私たちは、先人たちの試行錯誤に感謝しなければならないでしょう。
7.メガネを科学した男
目のしくみとメガネの働きの関連性を初めてつきとめたのは、16世紀後半に南ドイツで生まれた天文学者ヨハネス・ケプラーでした。「ケプラーの法則」で有名な彼は、ガリレオが望遠鏡を発明して世界を驚かせたことをきっかけにレンズの重要性に気付き、メガネについて詳しく記した一冊の本をまとめました。これが後の学者たちの研究土台となり、メガネの進化に大いに役立ったといわれています。
そして現在、さまざまな最先端技術がメガネ作りをさらに進化させています。メガネづくりの常識は、今も塗り替えられ続けているのです。