みると、きくは、こころとつなっがている
私たちは五感(視・聴・臭・昧・触)を通じて心が動き、心して行動する。
そして、いつの間にか、心を忘れ、感動がなくなり感謝する機会を失う。
先日、娘に誘われて、沖縄にスキューバダイビングを楽しんだ。海の景色は限りなく美しく、魚たちと一緒に戯れる。海中では、五感をはたらかせて、お互いを受け入れる。
魚たちの声は聞こえないが、見ることによって、目と目が合図しあい魚たちとの会話を楽しむ。海の世界との一体感を味わいながら、あっという間に時は過ぎる。決められた時間で、空気を求めて海面に顔を出す。海面は、水と空気の境界の一線で、私を現実に引き戻す。
見るとは、目の働きで物の存在、形などを知る理性情報と、目以外の感覚を含めて物事をとらえる感性情報とがある。まさに、〝観る、看る、診る〟である。
聞くとは、音や話しを耳に感じて理解することと、耳以外の感覚でも感じ取り相手の気持ちを聞き取る。即ち、聞くは自然に聞こえてくること。聴くは自分から注意して聴くこと。訊くは問いただすこと。
このようにして、五感は全てに関連付けられ、お互いを補完し合い、人はこころを動かす。
人は感動の時を繰り返すうちに、当たり前になり惰性に流され、心を失うことがある。スキューバダイビングの醍醐味も、毎日続けているとその美しさに見慣れ、感激はなくなるのであろうか。そうであるならば、年に2回か3回しか海に潜れない日常のハードスケジュールに感謝しなければならない。
毎日の賛沢に慣れて満足感を感じないライフスタイル、五感が鈍っている自分にふと気付くと、日々の暮らしは高くなり、思いは低くなっている自分の姿が見える。暮らしは低く、思いは高く。イギリスの詩人、ワーズ・ワースの言葉が心に響く。
心に繋がる“視ると聴く”を生涯の仕事にできることに感謝いたします。