第七話 「大将のまね熊本弁で接客」

第七話 大将のまね熊本弁で接客

結婚披露宴での米澤房朝さんと静江さん(前列中央)。両脇は仲人の布田大宝堂社長夫妻

熊本市上通町の「大宝堂眼鏡舗」に就職できました。しかし吃音[きつおん]で商いに欠かせない接客ができません。店頭に立つのも怖く、社会人になって最初の試練でした。
 吃音を治す教室にも通いましたが、全く効果はありません。お客さまを前に緊張して声が出ません。悩む日々が続きました。
 救っていただいたのが布田龍吉社長でした。布田社長はいかなるお客さまがこられても媚[こ]びることはなく、売るそぶりもなく、会話に接遇用語などもありません。熊本弁で気軽に話され、作法などにもこだわらない方でした。「あー、また来たかいた」みたいな調子です。それでいてお客さまと意気投合して商いが成り立ちました。
 当時、社長を大将と呼んでいました。店は大繁盛して検眼の順番待ちが続き、毎日列をなすありさまです。社長のお人柄で眼科処方箋も多く、店の評判が広がっていたと思われます。
 人を先に、自分は後から付いて行く控えめな方でした。人柄からにじみ出るほのぼのとした熊本弁で人を魅了しておられました。大将のところには、いつも人だかりが絶えず、お客さまでもあるお友達が気さくに遊びにこられていました。
 そこに呼ばれて接客の練習です。田舎者で不器用で緊張し過ぎる私ですが、これならできると大将のマネをすることにしました。大将のお客さまを担当するのが常になりました。
 大将のご配慮で、熊本弁で少しずつ接客できるようになりました。が、販売実績は上がりません。大将は商売下手を責めることはありませんでした。
 それでも、住み込みで店にいる時間が長いので仕事を覚えるのは早かったようです。先輩方をさしおいて、25歳の時、本店店長に抜擢[ばってき]されました。充実した毎日で苦手な接客が好きになり、吃音も少なくなりました。
 まじめにコツコツ一生懸命やると必ず道は開ける。大将の後ろ姿から学びました。
 26歳の時、店長として就職面接で採用した静江と結婚しました。7歳下で一目ぼれでした。周囲から職権乱用と冷やかされました。仲人は布田社長ご夫妻にお願いしました。