第八話 「商業界で独立の夢 決意に」
私にメガネ屋になるよう、勧められた名古屋の「キクチメガネ」の森文雄社長は、「商業界」のエルダー(指導者)をしておられました。
商業界とは、戦後の混乱期、闇市や超インフレで商いの方向性が定まらぬ時代に新しい商業のあり方、商業とはお客さまのためにあることを説かれた倉本長治先生の思想・精神に共鳴した、全国各業界のリーダーたちの集まりでした。
メガネ業界からは、森社長と、東京の高級店として知られていた「イワキメガネ」の岩城二郎さんがリーダーでした。
商業界のゼミナールは毎年2月、神奈川県箱根の小涌園で行われていました。森社長から参加を強く求められ、勤めていた「大宝堂眼鏡舗」の布田龍吉社長のお許し得て、社長代理として毎年のように受講しました。昭和40年代のことです。
ゼミナールでは全国から多くの方が集まり、成功、失敗事例を披歴します。商業界精神を理解された先生方や経営者など先輩方がその事例を基にアドバイスするのです。森社長の部屋には全国から同業者が集まり、あるべきメガネ店を熱く語り合っていました。
森社長はビジョンケアー(視力保護)の考えから、昭和40年ごろはまだ取り扱いが少なかったコンタクトレンズの販売を推奨されていました。「メガネ・コンタクトレンズは医療器具である。メガネ業界のレベルを上げないと社会の期待に応えることはできない。設備を充実し知識、技術を高めよう」
キクチメガネでは業界に先駆けてコンタクトを積極的に扱っておられました。現在はどこでも販売していますが、当時は画期的なことでした。
その意気込みに感化されたのでしょう。独立創業の夢は就職したときからありましたが、ゼミナールで全国の仲間の成功話に耳を傾けては、きっと自分もいつか店を持つと、夢が決意に変わりました。
母から「働けば何とかなる」と言われて育ち、独立するのにリスクがあるとは思っていませんでした。
幸い嫁の静江は社交性に富んでいました。将来、独立することを想定して、弟義一を大分市の「ヤノメガネ」に強引に就職させました。弟は私と違って商売上手でした。