第十一話 人づくりお客づくり金づくり
創業時、検眼する米澤房朝さん=1974年
創業に前後して、熊本市の健軍と京塚にメガネ店が新しくできました。市東部の同じ商圏に私どもを含め3店舗が相次いでオープンしたのです。
不安はありませんでした。県庁の職員名簿録を基にメガネを買っていただく職員の予約をとっていました。
他の2店は立派な店構えで、はた目には私どもが不利と見えたようですが、売り上げは月平均で600万円に達していました。他の2店はしばらくして閉店しました。
最初に人づくり↓お客づくり↓金づくりが私の出店方法です。私たち夫婦、弟夫婦、ともにメガネのプロでした。お客は県庁の職員さん、友人、知人、親戚と2000人の顧客名簿が手元にありました。
一般には金づくり↓店づくりが先行し、開店後に宣伝、お客さまづくりでしょう。金が無いので逆の方法をとるしかなかったのです。取引先を納得させ、信用を担保に営業を続けました。
創業(本)店は好成績を挙げていましたが、弟夫婦らスタッフ10人は多すぎました。それで水前寺駅通り店を開くとともに本店を東パイパスから県庁通りに移しました。
さらに知名度アップを狙い、思い切って俳優の小池朝雄さんをイメージキャラクターに採用しました。NHKの「刑事コロンボ」がはやっていたころ。刑事役のピーター・フォークを吹き替えていた小池さんがラジオで話し掛けました。
「うちのかみさんがね、メガネはヨネザワがいいと言うもんでねえ」
こうした積極投資が原因で開業2年目に資金がショートしました。銀行に融資を申し込むと担保不足とのこと。親戚2人に2年間の約束で担保をお願いしました。
その後、HOYA本社より平野鴻専務が訪ねて来られました。創業から2年目に売り上げが1億円を突破した実績を評価されたのでしょう。創業直前に商品納入を断ったことをわびられた後、今後の出店協力と必要に応じて銀行保証をすると確約されました。HOYAの出資が条件でしたが、親戚の担保を抜くことができました。
HOYAが株主になって窮屈にはなりましたが、杜撰[ずさん]な計画が緻[ち]密に。銀行はHOYAの保証を見て手のひらを返すように融資に応じてくれました。