第十四話 人材確保し多店舗展開へ
小学2年生のころの米澤房朝さん(左)。右は弟義一さん。中央はいとこの昭子さん
メガネの専門店を多店舗展開するには人材確保が必須の条件です。昭和49(1974)年の創業時、全国で多店舗化の兆しがあり、九州で一歩先に行こうと多店舗化を戦略的に考えていました。
同業者の集まりで積極的に計画を発表しました。賛同してくれた経験者が入社して出店が加速していきました。
なかでも熊本市の大橋時計店の眼鏡部であった上通の「メガネの和光」さんから木庭敏治さん、下通の「メガネの長江」さんからは北澤厚伸さんがはせ参じてくれました。
お二人とも業界経験も長く信頼のおける人でした。こちらから声をかけたわけではありませんが、同志として働きたいとの要望があり、お受けしました。熊本の有力店の幹部が一緒に働くことになり強力な布陣ができました。
昭和50年10月、県庁通り旧本店のオープンに際してはマスコミを活用してPRしました。その宣伝効果を最大限発揮するためには熊本市中心部の目立つ場所への出店が必要と考え、翌年交通センター前に出店。広域からバス利用のお客さまにご利用いただきました。
次に52年、水道町交差点のビル1、2階をお借りし、大きな店をつくりました。交通量も多い所。看板効果もあり、知名度はアップしました。
熊本市は住宅が東部へ延びる傾向にあり、53年、市電終点の目立つ場所に健軍店を出しました。本店に次ぐ安定した業績を上げることができました。
外商活動も並行して積極的に行いました。天草、八代・人吉、玉名と県内一円、訪問販売をし、5万人商圏に2千人のお客さまができた所に出店しました。
天草の本渡では半年で2千人の目標を達成し出店。その後、県内各市に2千人の顧客名簿ができ、多店舗展開の基礎となりました。
創業当時、メガネの外商活動は珍しく、大変お客さまに喜ばれました。特に改造したマイクロバスの車内で、視力検査ができるようになると移動店舗としての機能を十分に果たしました。
昭和56年、店は県内を中心に20店舗に達し、売上高は10億円を超えました。さらなる多店舗展開を念頭に有限会社を株式会社にしました。