第十五話 「同級生はありがたい」

第十五話 「同級生はありがたい」

向う三軒両どなり、袖触れ合うも多生の縁、縁を絆にして人間関係を大切にすることを社風にしたいと希ってきた。県庁に最も近いメガネ店、県職員の方々にもお得意様がたくさんできた。電電公社には同級生の松岡俊夫君、ヨネザワの広告塔として活躍してくれた。郵政弘済会も指定店となり同級生の中川公明君が尽力してくれ、九州各県の郵便局で販売できるようになった。この他、多くの団体の指定店となり、そこには同級生たちが自分を犠牲にして、ヨネザワのために働いてくれた形跡が我社の歴史に刻まれている。同級生のありがたみを今も重く感じ感謝している。指定店になっても店頭で待っているだけでは、並みの売上業績で面白くない。その職場で我社の広告塔として情報発信していただけるお客様をつくる努力をした。ご来店頻度を高める、自宅や職場を訪問するなど、お客様との接点を増やす積極的な営業活動を行ない、周囲の方がメガネをつくる時には、そのお客様の紹介でご来店いただくようになった。この様な役目をしていただくのに、同級生はピッタリであった。同級生でなくても、縁ある人と絆をつくり多くの方々のお引立てをいただいた。この様にしてヨネザワの出店展開が拡大していった。多店舗化するのに欠かせない、ヒト・モノ・カネ、人材は創業する以前から将来の開業に備えて眼鏡店に就職のお世話をしていたこともあり、少しは準備していた。創業当初は親戚の人達に無理をいって、ヨネザワに入社していただき協力してもらった。又、大橋時計店の眼鏡部であった上通りのメガネの和光さんから木庭敏治さん、下通りのメガネの長江さんから北澤厚伸さん、両名とも業界経験も長く信頼のおける人だった。お2人とも当方から声をかけたわけではないが、円満退社して私たちと一緒に同志として働きたいとの要望がありお受けした。私が大宝堂の本店店長、熊本の有力店の幹部がヨネザワで一緒に働くこととなり強力な布陣がしけた。勿論、私達夫婦、弟の義一夫婦もメガネのプロとしての自覚を持っていた。商品と資金はHOYAの金融部門HOYAクレジットを利用しての展開となった。