第二十四話 「大型店「寿屋」から得た学び」

第二十四話 「大型店「寿屋」から得た学び」

振り返れば、スーパー旧寿屋さんとのお付き合いは深かった。宮崎での店舗展開は昭和58(1983)年の寿屋宮崎店のテナントが最初でした。
 寿屋宮崎店は立地もよく客も多かった。しかし4階のメガネ店が閉店するので後を続けないかとのお誘いでした。メガネだけがなぜ売れないのか、不思議でした。すぐに契約、内装もあまり変えず、検眼設備と人材だけは宮崎でナンバーワンを目指しました。
 オープン初日からお客さまは切れ目なく、土日・祭日には私たち夫婦も応援に駆けつけました。1年経過し、来店されるお客さまの住所を調べると、宮崎市郊外と郡部の方が多くおられました。
 それで熊本の例にならって、お客さまが集中している場所を選び、5万人の小商圏を設定して、集中的にチラシ広告を展開、さらに小さな商圏内にお客さまが増えました。
 一方、その商圏内で訪問販売を繰り返し、2千人のお客さまができた所に出店しました。計算通り、初年度売り上げ6800万円を4人で達成しました。熊本での出店ノウハウが宮崎でも通用したのです。
 このようにして宮崎県内の各地域に5万人の小商圏を10カ所設定し、店舗展開を進めました。ところが、平成13年に寿屋が経営破綻、倒産しました。ドル箱であった寿屋宮崎店の店舗はテナントの立場でどうすることもできず、閉店せざるを得ませんでした。
 残念ではありましたが、既に宮崎県内に店舗展開していた店を受け皿にお客さまのアフターケアに努めました。寿屋の経営破綻は一時的に売り上げに影響しましたが、宮崎県内一円の5万人商圏に店舗があり、被害を抑えることができました。
 その上、寿屋の顧客情報を分析することにより、メガネ店が近くになく不自由なお客さまの分布図ができました。寿屋宮崎店は県内広域から集客し、その中でメガネの必要な方がテナント店でお買い求めくださる。
 小商圏の店ではできないことが大型店はできました。近くにメガネ店がなく、必ず買ってくれるであろう消費確定マーケットを調べるのには大型店は最適でした。寿屋が経営破綻して初めて気付きました。倒産から得た最大の学びでした。