第二十五話 「企業の厳しい栄枯盛衰」

第二十五話 「企業の厳しい栄枯盛衰」

スーパー旧寿屋の大型店にテナントとして出店、九州各県20店舗でお世話になりました。
 本社が熊本市にあり、創業者の壽崎肇社長は商業界の九州連合会長として指導しておられて接点も多く、積極的に出店していきました。ピーク時は寿屋のテナント店だけで売上高は15億円。なかでも八代寿屋、サンリー菊陽、博多エレデ、宮崎寿屋などは予想を超える売り上げでした。
 一方、昭和55(1980)年にはダイエー熊本店がオープン。好調で、九州のダイエーの大型店に出店する足掛かりができました。またニチイ隼人店に出店、1億円以上を売り上げました。当時、大型店は全国どこも大繁盛。テナントとして好業績を上げさせていただきました。
 ところが平成13年12月、寿屋が民事再生法を申請。信じられない大事件でした。寿屋はいきなり店を閉め、テナントの出入りも許さない強引な手法に驚き、憤慨しました。
 「店はお客様のためにある」。商業界の教えを基にスタートした寿屋が経営難を理由に地域社会との交流を一方的に断ち、お客さまの出入りを禁止する。テナントに責任はないのに相談もなく、一方的に閉店させられました。こんなことが許されるのか。今も理解に苦しむ措置でした。支払った敷金の類いも返済されませんでした。
 寿屋倒産の4カ月後、今度はスーパーニコニコ堂が民事再生手続きを申し立て、営業を続けながら整理に入りました。ニコニコ堂に1店舗を出していましたが、敷金は全額返済されました。お客さまや地域社会に迷惑はかけましたが、影響を最小限に抑える努力は評価されます。
 ダイエー、ニチイも会社整理はお客さまに迷惑をかけない最善の方法で営業を続けながら、経営権だけが変わっていきました。寿屋の破綻時、壽崎さんは既に寿屋を離れて、整理手法に発言できませんでした。ご本人の悔しさは察して余りあります。
 壽崎さんは商業界の同友にイオンの岡田卓也さんら日本の小売業の指導者たちと交流がありました。その人脈を生かすことができず残念であったろうと思います。
 栄枯盛衰。立派な企業が何社も経営難に陥る厳しさを思い知らされました。